先日、夫婦で焼肉を食べに行った。
僕たちは夫婦で合同会社をやっているので、月に一度くらい「夫婦会議」のような時間を作っている。子どもたちがじいじばあばの家に泊まりに行ったタイミングなどに合わせて、1〜2時間ほど散歩しながら徒歩圏内のお店を探し、「次ここ行ってみたいね」と話したりする。
ただ食事をするだけではなく、仕事や人生を整理する、毎月の小さな楽しみでもある。
今回行ったのは、昔よく知られていた焼肉屋。10年ぶりくらいだった。
価格帯も決して安くなく、昔は“高級焼肉”というイメージだったお店。だからこそ、期待半分、興味半分で楽しみにしていた。
でも、入った瞬間からどこか空気に違和感があった。
予感は的中した。
最初に来たビールからしばらく経って届いたキムチは、漬け込みが浅くほとんど味がない。料理提供も遅く、順番もバラバラ。肉には冷凍感が残るものもあり、カットも不揃い。タンやカルビは分厚すぎて、本来のお肉の良さが逆に伝わりにくくなっていた。
床も軋む。細かい部分を挙げればキリがない。
ただ、この体験から大きく二つの学びがあった。
一つ目は、「入口」の大切さ。
最初の印象をミスすると、人は無意識に“減点方式”で見始める。逆に入口の印象が良いと、その後は“加点方式”になりやすい。
これは飲食だけではなく、発信も、接客も、仕事も全部同じだと思う。
そして二つ目は、「小さな違和感に早く気づくことの大切さ」。
ひとつひとつは、もしかしたら些細なことなのかもしれない。でも飲食って、結局その小さな積み重ねでできている。
今回、自分は怒りよりも、強い“寂しさ”を感じた。
僕自身、飲食の現場で働き、店を任されていた時期もある。だからこそ、なんとなく分かってしまう。
人手不足。教育コスト。原価高騰。時代の変化。昔のやり方が通用しなくなる怖さ。
きっと現場も大変なんだと思う。
だから、若いアルバイトの子たちを責めたいわけでは全くない。むしろ、元気に頑張っているのは伝わった。
ただ、店の空気感や価格帯、求められる接客との“ズレ”を、きちんと伝えられる人がいないように感じた。
飲食は、料理だけではなく、空間や空気も含めて価値になる。そして教育は、店のためだけではなく、その子たちが社会に出た時の基準にもなる。
だからこそ、現場の「これくらいでいいか」は想像以上に怖い。
もっと怖いのは、それが少しずつ“普通”になっていくこと。
小さな違和感。
小さな妥協。
小さな諦め。
それが積み重なると、気づいた時にはお客様の心が離れている。
長年愛されてきた店ほど、実績や歴史がある分、変化への危機感を持ちにくいのかもしれない。
でも、時代は確実に変わっている。
今はもう、「昔有名だった」「昔流行っていた」だけでは選ばれ続けない。
美味しいだけでも足りない。
お客様は、“その時間に価値があったか”を見ている。
今回の食事は、ただ「美味しくなかった」で終わる話ではなく、自分たちにとって大切な時間だったからこそ、余計に考えさせられた。
そして同時に、「明日は我が身だな」とも思った。
どんな仕事でも、慣れた瞬間から少しずつ感覚は鈍っていく。
だからこそ、小さな違和感を放置せず、変化を恐れず、今の時代に向き合い続けること。
改めて、すごく勉強になった夜だった。

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